• NAME
    M.N.
  • OCCUPATION
    研究職 (新薬創生センター) グループマネージャー
  • JOINED YEAR
    2004年入社
  • EDUCATION
    薬学研究科 創薬科学専攻
  • DEPARTMENT
    新薬創生センター 薬物動態・安全性部 探索グループ
*所属は取材当時の情報です

220001成功

CAREER PATH
  • 2004年
    薬物動態・安全性部 代謝グループ
  • 2010年
    薬物動態・安全性部 探索グループ
  • 2018年
    薬科学博士号取得
  • 2022年
    薬物動態・安全性部 探索グループ グループマネージャー

こん持つ製薬会社あったの

薬学部に進学した理由は2つあった。1つは化学を学びつつ、薬剤師の資格も取れると思ったから。そしてもう1つは、がんで苦しむ祖母の姿を見て、医療に携わりたかったからだ。がんの進行が早かった祖母は、手術でがんを取り除くことができず、抗がん剤治療を受けざるをえなかった。がんの痛みを薬剤で和らげている様子に、「クスリの力ってすごいな」と思ったのを覚えている。その経験から、大学に残って研究者として医薬品の研究をしたいという想いを抱いた。

その考えが変わったのが、学生時代に体験した病院での実務研修だった。薬剤師の資格を取るためには、一定期間、病院や薬局での実務実習を受けなくてはならない。研修で訪れた病院には寝たきりの患者さんがおり、褥瘡(じょくそう)の治療を受けていた。褥瘡は一般的に「床ずれ」とも呼ばれ、体重で圧迫された場所の血流が悪くなることで、皮膚がただれたり、傷ができたりしてしまう症状をいう。その治療に使われていたのが、科研製薬のフィブラストスプレーだった。

その時まで、クスリといえば命に関わる疾患や、慢性的な疾患を治療するためのものだと思っていた。しかし、「つらい」と感じる患者さんに対して、QOLを向上させる医薬品もある。褥瘡のようなニッチな領域の疾患を治療するための医薬品があることを知らなかったのだ。その視点の違いに、驚きと面白さを感じた。この出来事をきっかけに、製薬会社で薬をつくってみたいと思い、就職活動を経て科研製薬に入社することになる。

新人時代の自分は、一言で表すと「猪突猛進」だった。配属された薬物動態・安全性部の代謝グループは、投与した薬物がどのように身体に取り込まれて体外に排泄されていくかを、動物実験や細胞を用いた試験を通じて評価する部署。経験も知識も足りなかった自分は、とにかく手を動かして先輩たちに追いつこうとした。しかし、焦りから分析装置を詰まらせて、他の方に迷惑をかけてしまうこともあった。マネージャーになった今なら、当時の自分に「もっと腰を落ち着けて慎重に」と声をかけるだろう。

成功確率は22,000分の1んで時間はな

2010年には同部署の探索グループに異動し、ある外用剤のプロジェクトの化合物探索に携わった。探索グループの仕事は、クスリの種となる化合物を探索すること。そして、見つけた化合物に医薬品としての効果があるかを評価することだ。試験管では必要とする効果が見られる化合物でも、投与して効果が出るとは限らない。投与した薬物が、効いてほしいところに適切な量だけ届いているか、PK/PDという手法を用いて解析することになる。

ただ、当時の薬物動態部門では、外用剤開発におけるPK/PDをそれほど重要視していなかった。内服薬と違い、外用剤は患部に直接塗ったり貼ったりするため、薬物が作用部位に届いていると思われやすい。しかし、実際は薬剤を塗っても必要な濃度が届いていないことも多く、それは実際に試してみないとわからなかった。

もし外用剤開発でもPK/PDを重視し、理論的に薬効を評価する方法が確立できれば、実験をせずに計算によって化合物を選別でき、もっと効率的に創薬を進められるのではないか。そう考え、外用剤のPK/PDに取り組みたい旨を上司に話してみると、「やってみよう!」と快く背中を押してくれた。社内には皮膚透過性に関する有識者がいないため、論文を調査したり、学会で専門家に意見を伺ったりして情報を集めた。プロジェクトのメンバーたちとの意見交換が、行き詰まっていた箇所を突破するヒントにもなった。

2年半ほどかけ、ある程度の結論と方向性が定まってきたある日、外用剤プロジェクトの中止が知らされた。致命的な副作用が検出され、続行不能と判断されたのだ。2年半の取り組みを活かす場面はもうない。当時はさすがに落胆したが、プロジェクトが中止になるのは珍しいことではないのだ。創薬が成功する確率は約22,000分の1、その難しさを実感した。しかし、落ち込んでいる時間はない。「次、頑張ろう」と、翌日には気持ちを切り替えていた。

分の事が創薬研究に貢献

自分にとってキャリアの転換点となったのは、外用剤プロジェクトの後に携わった、爪白癬治療薬「クレナフィン」の照会事項対応だった。臨床試験で有効性・安全性が確かめられた新薬は、厚生労働省の承認を得るため承認申請を行う。申請中は、審査を担当するPMDA(医薬品医療機器総合機構)からの質問事項(照会事項)に答えなくてはならない。そのための検証が、自分のところに回ってきたのだ。

検証は「酵素誘導」に関するものだった。肝臓には薬物を解毒する酵素(代謝酵素)がある。複数の医薬品を服用した場合、薬物同士の相互作用によって代謝酵素が増え、医薬品が効きにくくなることがあり、これを酵素誘導と呼ぶ。PMDAからは、クレナフィンで酵素誘導が発生する可能性について問われ、検証を進めた。どんな化合物が酵素誘導を引き起こすのか、当時ははっきりわかっていなかったため、実際に人の肝細胞を使って実験をするしかなかった。しかし検証に取り組む中で、化合物の構造と酵素誘導の関係(構造活性相関)のようなものがおぼろげながら掴めてきた。

「こういう構造の化合物なら酵素誘導が起こりやすい」ということがわかれば、今後の探索研究に役立つだろう。上司に相談すると、その分野の識者を紹介してもらえた。識者からアドバイスを受けながら、業務と並行しつつ研究を進める。4年ほどの月日をかけ、最終的にこの研究で薬科学博士号を取得することができた。

酵素誘導に関する研究を通じて、得るものは多かった。国内外の学会で発表する機会をもらい、専門家の先生をはじめ社外の方々との交流につながった。当時、国から薬物相互作用に関するガイドラインの改訂があり、改訂に準じた社内での指針をつくる際に、自分が得た情報や知見を活かすことができた。そして何より、自分の仕事に自信を持てたことが嬉しかった。

新薬る夢をまっに追い

自信を持ったことで、コミュニケーションの幅も広がった。コロナ前は各部署の同期とランチを囲みながら、それぞれの専門について話を聞くのが好きだった。創薬はひとりで成し遂げることはできず、多くの人の協力が必要になる。科研製薬には、みんなで活発に意見を出し合える雰囲気が醸成されており、自分もそうした環境で育ってきた実感があった。

現在はグループマネージャーの立場で、10人弱のチームを束ねている。コロナ禍になり、書類作成や解析を在宅勤務で行うことも増えたが、チャットツール上の会話は毎日活発だ。ただ、マネージャーとなった今は、メンバーの個性も重要視するよう心がけている。自分のように話すことが好きな人もいれば、静かに考えたい人もいる。その人のやり方を見守り、背中を押せるようになりたい。「猪突猛進」だった自分も、色々とチャレンジをさせてもらえたのだから。

化合物の探索は決められた実験手法に則って、地道な作業を繰り返すことも少なくない。それも大事な業務のひとつだが、ルーチンワークに感じることもある。ただ、そうした作業の中でも「この工程は本当に必要なのか」「もっと効率の良いやり方があるのではないか」という意識で取り組めば、新たなチャレンジができる機会はいくらでも眠っている。立場は変わったが、新しいことに取り組む気持ちは忘れずにいたいと思う。

入社時に描いた「新薬をつくりたい」という夢は、未だ叶っていない。これまで携わったプロジェクトは、ほとんどが途中で中止になっている。だがその経験は、決して無駄だとは思っていない。失敗を糧にして、1つでも多く新薬を患者さんに届けるのだ。ひとりで突き進むのではなく、メンバーたちとお互いを高め合いながら。