• NAME
    Y.O.
  • OCCUPATION
    MR職
    所長
  • JOINED YEAR
    2004年入社
  • EDUCATION
    経営情報学部 経営情報科
  • DEPARTMENT
    兵庫営業所
*所属は取材当時の情報です

えるのではな
そん目指

CAREER PATH
  • 2004年
    旧大阪第2支店 高松営業所
  • 2010年
    旧広島支店 岡山営業所
  • 2016年
    旧大阪支店 神戸営業所
  • 2019年
    旧関西支店 紀和営業所 所長
  • 2021年
    旧関西支店 兵庫第1営業所 所長
  • 2023年
    兵庫営業所 所長

就職活動を始めたのは「就職氷河期」と呼ばれていた時代だった。バブル経済が崩壊し、大企業でも経営が立ちゆかなくなる様を目にして考えたのは、「将来なくなることのない業界」で働くこと。そこで目指したのが医療業界だった。製薬会社や医療機器メーカーを中心に就職活動をする中で、科研製薬に興味を持ったのは、整形外科という「領域」に特化していたからだった。

当時、祖母は膝の関節症を患っていて、外出には杖が欠かせなかった。この先、高齢化社会が到来したら、整形外科にかかる人がもっと増えるだろう。そう考えた時、関節機能改善剤「アルツ」を中心に、整形外科領域に特化していた科研製薬が魅力的に見えたのだ。大手製薬会社が手を出せないニッチな領域でありながら、医師や患者さんにしっかりと貢献できる製品を世に送り出していることに、この会社なら面白い仕事ができそうだと感じた。

入社後に配属されたのは、高松営業所。半年間の研修を経て、MRとして担当エリアを任された。1日10軒以上の病院を回り、医師に製品を紹介するのだが、なかなか結果に結びつかない。今思えば、勉強会で学んだ製品の特徴やデータを、がむしゃらに伝えることで精一杯だったのだ。

自分の足元だけを見て走り続ける、そんな狭い視界が開けたのは、入社から1年ほどが過ぎた頃だった。何度も通っていた医師から「私たちが治療で何に困っているのか、そこで科研製薬の製品がどのように役立つのかを伝えないと、どんなに良い製品でも使えないよ」と声をかけていただいたのだ。自分には症状に苦しむ患者さんや、治療する医師の姿が見えていない。そのことに気づき、医師側のニーズを伺い、患者さんのことを一緒に考えるようにすると、徐々に製品を使っていただけることが増えてきた。必要だったのは、がむしゃらに伝えることではなく、きちんと相手の話に耳を傾けることだったのだ。

受け継がてきたもきちん次にけ継いで

MRとして担当エリアを回っていると、必然的に他社のMRと顔を合わせる機会も増えてくる。同時期に入社した他社のMRと仲良くなり、エリア内の情報交換をすることもあった。そこでたびたび胸を痛めたのが、他社の新薬の話題だった。当時、科研製薬は後発医薬品(ジェネリック医薬品)にも注力しており、入社してから10年間は新薬の発売を経験していなかった。「新薬のおかげで先生からとても感謝された」という言葉を聞くたび、他社メーカーを羨ましく思った。

2014年以降は定期的に新薬が発売されているため、そうした他社メーカーへの羨望はもうない。今なら当時の自分に「新薬が出ないからといって、医療に貢献できていないわけではない」と言うだろう。後発医薬品は、患者さんの窓口負担を減らすだけでなく、国の医療費削減にも通じる。今でこそ「ジェネリック」として推奨されるようになったが、科研製薬はそれ以前から後発医薬品の取り組みを地道に続けていた。また、1987年に発売された「アルツ」の評判は非常に高く、関節内ヒアルロン酸注射の先駆けとして、現在もトップシェアを維持している。

新薬が出ないことに焦りを覚えていたある日、ある医師から「よくここまで素晴らしい製品を長年続けてくれているね。患者さんにとってはもちろん、医師としてもなくてはならない製品だよ」という感謝の言葉をもらい、改めて自分の会社の製品に自信を持って良いのだと思えた。これまで脈々と受け継がれてきたものがあるからこそ、今の科研製薬がある。新薬だけでなく長期収載品にも強みを持ち、どれもニッチな領域だが、きちんと患者さんのためになる医薬品を提供できていることに誇りを感じられた。

入社8年目で赴任した岡山営業所も、人とのつながりを強く意識した場所だ。チームのメンバーは、リーダーと自分、そして後輩が5人。必然的に、先輩の自分が後輩たちの指導やフォローをすることになる。赴任したばかりで、自分の仕事にもまだ慣れない中、後輩たちの担当エリアも把握してアドバイスをしないといけない。時には訪問先に同行して、一緒に頭を下げたりすることもあった。

自分の時間を100%使えない。でもそれは、チームのことを考えれば当たり前だった。仕事の時間をやりくりできるようになるまでには時間がかかったが、後輩たちから「先輩の言う通りにしたらうまくいきました!」と報告があると、我がことのように嬉しかった。

かかわる人の輪が広幅も

入社12年目で赴任した神戸営業所では、初めて大学病院を担当した。大学病院は最先端の医療を提供する場であり、研究・教育の場でもある。大学病院の医師が市中で開業することもあり、MRとしては関係をつくるための大事な〝要所〞でもあった。大学病院では製品についての専門的な話になることも多く、学術部など営業以外のスタッフとも連携して仕事を進める必要があった。

科研製薬としてお手伝いできることはないかとヒアリングを重ね、新たなチャレンジとして「他社メーカーとの合同企画」を立ち上げた。MRの仕事には、医師らを対象とした研究会の「企画」がある。識者に最新の知見について講演してもらう場を設け、併せて製品の紹介も行うのだ。当時、大学病院は内視鏡手術を採用し始めた時期で、研修医へ教育の場を必要としていた。そこで内視鏡手術についての研究会を企画し、内視鏡を扱う医療機器メーカーらと合同で行うことで、企画の価値を高めたのだ。社内外問わず、幅広い方とかかわり合うことで仕事が前に進み、そうした経験が自分の仕事の幅を拡げている実感があった。

入社から15年が経った2019年。紀和営業所で初めて所長に就任した。これまでMRとして現場を走り回っていたが、今度は所内でMRらを取りまとめる立場。当初は戸惑うことも多く、「なぜできないんだ」と部下を叱責してしまうこともあった。その悩みを昔お世話になった上長に相談した時に、救われた言葉は今でも覚えている。「今はできていなくて当たり前。今日より明日がひとつ成長していればいい」。その「ひとつ」を積み重ねるために、本を読むなどしてマネージメントの勉強を重ねた。

2021年からは、兵庫第1営業所の所長を務めている。ここ数年のコロナ禍で、MRの仕事は様変わりした。病院への訪問は制限され、人が集まる研究会も開けない。誰も「コロナ禍の営業活動」の正解を持っていない中、オンラインを駆使しながら試行錯誤の日々が続いている。それは所長の自分も同じだ。だからこそ、上の立場から教える「教育」ではなく、所員と共に育つ「共育」を意識して、一緒に前に進んでいこうと声をかけている。何もせずに失敗するより、チャレンジをして失敗した方が、必ず学びとなるからだ。

所長としてはまだまだ半人前だが、過去の失敗から伝えられることもある。そのひとつが、何よりも「患者さんファースト」であることだ。困っている患者さんの一助となるために、科研製薬ができることは何か、そして地域医療に貢献できることは何かを、常に考えなくてはいけない。新人時代のあの日、自分のターニングポイントとなった言葉を、もう一度所員に伝えていけたらと思っている。

2020年には、新薬である原発性腋窩多汗症治療剤「エクロック」が上市された。多汗症の治療薬ではこれまで保険適用の外用剤がなかったこともあり、医師や患者さんから感謝や喜びの声をいただいている。大手製薬会社にはない、特徴的な製品を通じて世の中に貢献できることが科研製薬の醍醐味であり、この仕事を続けている理由のひとつだ。亡くなった祖母が、生前に「アルツ」を使ってくれたことを思い出す。これからも止まることなくチャレンジを続け、共に働く所員たちと「患者さんファースト」に向けて歩んでいきたい。今日より明日が、ひとつでも成長していけるように。